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T-TIME-クルマ文化散策(No.96 Spring 2016)より 

T型フォードとアメリカのモーターリゼーション、“Ford Times”からのエピソード

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T型フォード(Ford Model T)は、1908年に生産が開始されてから、1927年に生産終了になるまで、1500万台以上が生産された。この車は、20世紀初頭のアメリカにモーターリゼーションをもたらし、ガソリン自動車社会を創り出す原動力となった。 その、T型フォードのすごさの一端を“Ford Times”というフォード社の広報誌から覗いてみよう。


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1911年11月号
T型フォードのボディ・バリエーション

ボディタイプの幅広い選択肢はT型の大きな魅力だった。主力は一番上のツーリングと2番目のランナバウトである。また、フォードは価格を引き下げて需要を取込んでいく戦略で、ツーリングの例では1908年は860ドル、1913年に600ドル、1922年には300ドル台にまで価格を下げ市場をリードしていった。


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1912年3月号
悪路に強いT型フォード

T型は、軽量化を重視した設計であった。急坂を越えるときなども数名の人手で引上げられるほど軽く、悪路には適していた。しかし、道路が整備され車に快適性が求められる’20年代後半には軽さは逆に弱点となり、乗り心地や豪華さを重視したシボレーなどとの競合に敗れ、1927年には生産を終了することになる。


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1913年 フォード社創立10周年記念号
フォード創業者ヘンリー・フォード

ヘンリー・フォードが立てた志は、「大衆のために、大きすぎず小さすぎず、かつ自分で修理できる自動車を製造する。…ある程度の収入があれば誰もが購入できる値段とする。…」というものであった。この記念号において彼は、T型フォードによってその志を果たした旨を述べている。


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1916年3月号
アラスカの雪原を走るT型フォード

T型フォードというと「黒」の塗色を連想することが多いが、全車が黒であった訳ではない。1908年の市場導入時は「赤色」「灰色」「緑色」の3色が用意されていた。途中「緑色」や「紺色」への統一を経て、1915年以降は黒に統一された。黒の採用理由は、黒色塗料が耐久性と経済性に優れていたからである。


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1916年6月号
顧客企業に納車されたばかりのT型フォード

スタンダードオイル・オブ・インディアナ(同誌では世界最大級の顧客との記述)のカンザス店に納車されたT型フォード。「フォードが自動車を1台売るごとに、石油王ロックフェラーが顧客を一人増やす」と言われていた時代、自動車業界と石油業界の“Win-Win”の関係を思い起こさせる写真でもある。


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1916年6月号
1903年の創立からの年間生産台数

フォードは1909年からT型に生産を集中させる決断をした。生産が需要に追いつかない状況を打破しようと、ベルトコンベアーの導入など試行錯誤を重ねてフォード生産方式を創出、その完成と時を合わせ給料倍増(日給5ドル)と1日8時間労働を1914年に導入、商品性と低価格で圧倒的なシェアを獲得していった。

文:早川直樹


『Ford Times』表紙ギャラリー

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